恥で人をコントロールするということ
恥の文化
はずかしい
みっともない
笑われる
そんな言葉を人から言われたり自分で自分に言ってしまうこと、
きっとみなさん経験があるのではないでしょうか。
私は小さい頃からその言葉にアレルギー反応を示していました。
恥ずかしい
世間体
みっともない
そんな言葉を毎日のように浴びせてくる母親と何度も喧嘩して来ました。
誰も見てないのにだれが恥ずかしいって言ったの?
世間体って誰?
恥ずかしいって何?
あんなにパジャマからお着替えしなかった娘が
お出かけするときにパジャマから外着に着替えさせるのに毎回苦労していました。
それでも根気強く、パジャマはねんねするときに着るものだから、せっかくだから可愛いお洋服に着替えたら?などと言って来ました。
ただ、実家の母に数日娘を見てもらていた後、
お出かけしようとしたら
「パジャマだと恥ずかしいから着替えなきゃ!」
と娘がおもむろにパジャマを脱ぎだしたのです。
呆然。
あんなに着替えなかった娘がいとも簡単に着替えたことに驚いたと同時に、
こんなにも「恥」ということが人の心をコントロールするのだと感じました。
ちゃんとした理由をつけて説明するのは骨が折れる作業です。
子供は簡単には聞いてくれません。
きっとはずかしい、という言葉で言ったほうが簡単に「しつけ」ができるのかもしれません。
でも本当に「恥ずかしい」から着替えなくてはならないんでしょうか?
あくまでも大人が子供に言うことを聞かせるために用いるまやかしに過ぎません。
理系母としてのあり方
理系母(夫婦)としては絶対にその場しのぎで子供を支配下におきたくありません。
どんなに大変でも絶対に根拠を伝える。
その場で言うことを聞いてもらうための嘘は絶対につかない。
大人が嘘をつくと、子供は「大人は嘘をつくのだ」と絶望します。
大人が恥で支配していくと、子供は「人の目」ばかり気にして自分の心がわからなくなります。
絶対にそんな子にはさせたくない。
そう思った出来事でした。